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東京高等裁判所 昭和46年(う)2422号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮八月に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審および当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

〈前略〉

控訴趣意第一について。

所論は、被告人が本件交差点を右折進行するにあたり、交差点の手前の停止線において一時停止せず、漫然時速約三〇キロメートルで右方の安全確認不十分のまま進行した過失があると認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるというのである。そこで考えてみるのに、原判決挙示の関係証拠によつて本件事故現場の状況をみると、現場は丁字形の変形交差点で、被告人が進行してきた箱根峠方面から小田原市内方面への道路は右にカーブしていてこの進行方向には赤色点滅信号が設けられているのであるから、車両は交差点の直前の停止線において一時停止しなければならず、しかも同所は交通整理の行なわれていない交差点で左右の見とおしのきかない道路のまがりかど付近であるから徐行して安全を確認しながら進行しなければならない個所であると同時に、反対方向から来る対向車両としても、黄色の点滅信号が設けられていることでもあり、他の交通に注意して徐行しなければならない個所であること、事故の直後である昭和四五年五月三一日午前五時三〇分から行なわれた実況見分の結果を記載した調書およびこれと同時刻に撮影された写真撮影報告書によると、事故現場には被告人車両の左右の後輪(内輪と外輪とがある。)によつて印された長さ4.2ないし6.2メートルの数条のスリップ痕が存在していたと認められるうえに、交差点を右折するにはあらかじめできるかぎり道路の中央に寄り、交差点の中心直近の内側を徐行すべきところ、右二つの証拠によつてみると、被告人は右折に際し多少道路の右寄りにしかも直線的に進行したと認められること、前掲事故直後に行なわれた実況見分の結果は同年六月四日に行なわれた二度目の実況見分によつて多少補正されたと認められるところ、これによれば、被告人が原動機付自転車を発見したの地点からその時点における同自転車の位置である地点までの距離は約19.4メートルであり、そのうちから衝突地点までの距離は約6.2メートルで、衝突地点からまでの距離は約14.3メートルであつたと認められること、さらに、同年六月一八日に行なわれた三度目の実況見分においては事故車両と同種同型の車両を使つて各種の条件を設定して制動実験が試みられたのであるが、そのうち、発進地点を事故発生地点から箱根峠方向へ目測五〇メートルの個所にとり、交差点直前の停止線において完全な一時停止をしたのち停止線から被害者発見地点までできるだけ速度をあげたのち急制動をかけた場合において左後輪(内側)のスリップ痕の長さは2.9メートル、右後輪(内側)のそれは2.9メートルで、できるだけあげた速度は時速約二五キロメートルであつたのに対し、前記発進地点から被害者発見地点まで時速約三〇キロメートルで進行してきて急制動をかけた場合には左後輪(内側)のスリップ痕の長さは六メートル、右後輪(内側)のそれは六メートル、右後輪(内側)のそれは五メートルであつたことがそれぞれ認められ、この後者の実験の結果が前示4.2ないし6.2メートルの現実のスリップ痕の長さに近似していることをかれこれ考え合わせると、実験に供した車両が異なること、道路その他の自然的条件、運転者の肉体的、心理的条件等に多少の誤差の存することを考慮しても、被告人が原動機付自転車を発見したの地点における時速は約三〇キロメートルであつてとうてい徐行とは認められないし、また、被告人は停止線においてほとんど停止に近い緩い速度に落としたとしても完全な一時停止まではしなかつたものと認められ、このことは被告人の司法警察員に対する供述とも符合するのである。しかも被告人の検察官に対する供述によれば右方の安全確認が十分でなかつたことも認められるのであつて、要するに、被告人は原判示の注意義務を怠り、停止線において一時停止せず漫然時速約三〇キロメートルで右方の安全確認不十分のまま右折進行した過失があるとする原判決の判断は首肯することができる。これに対し、被害者側にも後記のように過失が存するところではあるけれども、被告人の右業務上の過失行為と無関係に原動機付自転車の運転者が運転を誤り自ら被告人の運転車両に衝突してきたため致死の結果が生じたとはとうてい認めることができない。その他一件記録を検討し、当審における事実の取調の結果をこれに加えて検討してみても、所論の事実誤認は存しないから論旨は理由がない。

同第二について。

所論は、原判決の量刑は重過ぎて不当であるというので考えてみるのに、被告人には原判決認定のような業務上の過失が存在すること、これにより一命を失わせた重大な結果を招来したものであるうえにこれまでに道路交通法違反罪により七回罰金刑に処せられたほか業務上過失傷害罪により二回罰金刑に処せられたことがあることなどにかんがみ、原判決としては被告人を禁錮一〇月の実刑に処したものと考えられる。しかしながら、本件の事故現場は被害者の進行方向からしても交通整理の行なわれていない左右の見とおしのきかない交差点で黄色の点滅信号がある個所であるから特に他の交通に注意しつつ徐行しなければならないのに、被害者高橋末男は、被告人の当時の時速約三〇キロメートルから推認すると時速約七〇キロメートルの高速度で進行していたことが窺われ、そのため被告人車両を発見するや回避のいとまもなく車体をふらつかせながら滑走してきて被告人車両の前部右側に衝突し顛倒した過失が存在すると認められるのであつて、この被害者の過失と被告人の前記過失とをかれこれ考え合わせると、原判決の刑はいかにも重きに失すると判断されるので、論旨はその点において理由があり、原判決は刑訴法三九七条一項、三八一条により破棄を免れない。しかも、当審における事実の取調の結果によれば、当審にいたつて被告人の当時の雇主山田車体工業株式会社の努力により被害者の実兄高橋巳一との間に自動車保険金五〇〇万円を含め慰藉料、葬儀費等合計金八〇〇万円で示談が整い全額支払い済みで、遺族においても被告人の将来を考え寛大な処罰を希望する旨の意思を表明するにいたつているのであるから、現段階において被告人に対し刑を量定するにあたつてはその点も十分に考慮しなければならないところである。

よつて、原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により当裁判所においてさらに次のとおり判決する。

原判決の確定した事実に法令を適用すると、被告人の原判示所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するから所定刑中禁錮刑を選択しその所定刑期範囲内において被告人を禁錮八月に処し、前記の情状により刑法二五条一項一号を運用して裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、原審および当審における訴訟費用を被告人に負担させることにつき刑訴法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(中野次雄 寺尾正二 粕谷俊治)

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